『2回目の教育実習(後編)』
食・読書・恋、と日常の様々な事柄の旬な季節である「秋」もいつしか終わり、気が付けば今年も残すところ1ヶ月となりました。皆さんいかがお過ごしでしょうか?今月もコラムの時間がやってまいりました。
すぐにでも本題に入ろうと思うのですが、少しだけ余談を。
教育現場がまたもや嫌なニュースで世間を騒がしている昨今。いじめで自殺する児童・生徒、さらにはパワハラにより自殺する教師。命の尊さについて今まで何度見つめ直してきたのでしょうか。またこの問題は、教育現場が何かと不祥事を取り沙汰されているから特に注目を集めているのですが、こういった問題は今に始まったことではなく、昔から起こっていたことなんです。また、教育現場に限らず、他の社会においても同様な問題は多々あることと思われます。弱者に対して精神的優位に立ちたいという人間心理がある限り、これから先も無くならない問題ではあると思うのですが、今起こっている問題に対してただ批判するのではなく、主体的に考えていくことが現代社会に生きる者として必要なのではないでしょうか。みなさんも、今一度考えてみて下さい。
はい、そろそろ本題へ。
今回は、前回の続編で『2回目の教育実習(後編)』です。張り切っていきましょう。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
【授業】
授業は中学校と養護学校での講師の経験があったので比較的楽観的に考えていたのですが、それこそが大きな落とし穴でした。それについては前回のコラムでだいたい述べてきたので省略しますが、とにかく大変でした。少しでも難しい表現がでてきたら子どもの表情が「?」となり授業の進行が止まりますので、できるだけ子どもがわかりやすいように授業を行いました。そのために行った指導の手立ては、1短く簡潔な説明、2視覚支援(絵や言葉カードなど)、3板書の工夫、と3つ挙げることができます。これは過去の経験だけでなく、他学年の授業を見学して研究し行いました。不思議なもので、これを実行する前と後とでは子どもの食い付きが全く違ったものになりました。発達段階に応じた指導を行うことの重要性を体験的に学びました。
授業した2つのクラスそれぞれに、発達遅滞が見られる児童が何人かいましたので、そこは養護学校で培った技術をもとに指導していきました。発達遅滞が顕著に見られる児童が一人いたので、その子に関しては事前に別メニューを用意して取り組ませました。それまでは他の児童と同じ内容の授業を受けていたために、チンプンカンプンなままに一時間を終えていたその児童も、自分の能力に沿った課題を提供されることで取り組む姿勢がゴロっと変わりました。そしてできた課題に対して評価されることで達成感を味わうことができたその児童の顔は、嬉しさと自身に満ちた表情になっていました。自分の経験が大いに生かされた瞬間に僕も嬉しくなりました。
実習の最後に行う研究授業は苦戦しました。小学校は先生が書く文章にも厳しく、学習指導案を提出するたびに指導教官から訂正を加えられました。おかげで毎晩徹夜の勢いです。ホント難儀しましたが、指導案が完成した時は授業前にもかかわらず達成感に浸ってしまいました。
で、その苦労した研究授業の科目は国語で、それまで取り組んできた内容の発表会をしました。それぞれが「あったらいいな」と思うものについて創造し、それを絵に表し、説明する内容・順番を考える、それをみんなの前で発表する、といった内容。ここでの児童の目標は、いかに面白いものを考えるか、と言う事ではありません。大きく二つに分けると、1話す力を養う(順序・内容・姿勢・言葉など)、2聞く力を養う(態度・姿勢・それに対して自分の意見や感想を言えるかなど)、です。研究授業までの児童は、「おいおい、大丈夫か??」的な感じだったのですが、回を重ねていくに連れて学習してきたようで、本番では見事にその目標を達成したといえるほどでした。子どもの学習能力は素晴らしいとはいえ、これほどまでかと深く感動しました。授業終了後にまたいつもどおりワーワー・キャーキャーと騒ぎまくっている児童を見て、ヤレヤレ…と思う反面、変わりっぷりに可笑しくて笑ってしまいました。
【生徒指導】
あれやこれやと、常にこと細かく指導をしていけばいい。…っというのは正解のようで実は不正解(と思う)。子どもを学校が思う形に当てはめるのではなく、それぞれの個性を上手に生かしながら指導していくのが生徒指導の本来あるべき姿だから、というのがその理由。では悪いことをそのまま見過ごすのか、というとそうではありません。児童の意見を尊重した上で「こうした方がいいのにな」といった感じで、児童が主体的に行動を改める・修正できるよう促していくことが効果的な生徒指導の方法なのだと思います。とはいえ、大きな過ちをしているときや道徳に反する行動・言動をとっている児童には、厳しく指導を行わなければなりません。ようはその場に応じた指導を行うことが大事、と言うこと。そのためにも、常に子どもに目を配っておく必要があります。
しかしその指導も、子どもとの関係ができていないのに行うと、いくら場に応じた指導を行ったとしてもその効果は発揮されません。それどころか、それによって子どもとの関係作りができなくなる状況に陥ることが予想されます。生徒指導とは、糸の如く繊細なものなのです。
実習生の僕は上記のことを十分に踏まえていたので、何か問題を見つけるたびに担当教師に伝えて間接的に指導してもらっていました。そうせざるを得ないとはいえ、もどかしさを感じずにはいられませんでした。
そんな僕ですが、ある児童の発言に一度だけ厳しく指導をしたことがあります。
それはとある昼休み、掃除をするために机を後ろへ動かしていたときのことです。昼休みといえば外で思いっきり遊べる至福の時間ですので、できるだけ早く外へ行きたいのが子どもの心情です。ところが、ある情緒障害の児童Aくんが机の移動にもたついていたために、後の児童がそれを待たざるをえませんでした。何人かの児童はその子がなぜ遅いのかを理解した上で待つことができたのですが、一人の児童Bさんだけ理解しながらも待つことができませんでした。「早くしろやー!」とBさんが急かします。「ちょっとまってよー!」とAくんも言い返します。ここに小さな口論が生まれました。僕は、そういった経験の中から子ども自身が学ぶことがあると考えていたので、その状況を傍観していました。事態は次第に沈下し始めもう終わるかなと思っていたとき、Bさんの何気ない一言に僕の態度は豹変しました。
「何やねん、仲良し(学級)のくせに!」
言ったBさんは笑顔でした。全くもって悪気なんてなかったんでしょう。しかし、言われたAくんは「えっ…」といった表情で黙り込んでしまいました。まさかそんな事言われるとは思わなかったのでしょう。
みなさんもご存知とは思いますが、仲良し学級とは学校内の知的・情緒・肢体障害の児童が集う特別支援クラスのことです。情緒障害を持った児童もそこに在籍していました。そのことはクラスの誰もが知っており、それに対して特別な感情を持つ児童はいないと思っていました。また、そんな感情が芽生えてくるのは自我が芽生えてくる中・高学年ぐらいからだと思っていました。とにかく思いがけない一言でした。
さすがにこの時だけは僕も怒りました。机を運ぶ手を止めさせ、「おい、お前今なにゆーたんや!?」とBさんの手をつかみながら語気を強めて言いました。それまで優しかった僕が豹変したことに驚いたのでしょう。返す言葉が出てこない様子です。僕はさらに続けます。「それは言っていいことか、あかんことか。どっちや!?」語気はさらに上がります。まだまだ言葉が出てこない様子です。Bさんも次第に自分の発言したことの重大さに気付いてきたのでしょうか、驚きの表情から次第に反省の表情に変わっていき、目にうっすらと涙が滲み始めました。
このBさんは、ちょっと家庭に事情があることから、外弁慶の内地蔵な性格をしておりました。それゆえに他にも発言に問題があったのですが、その都度、細かく指導していても効果がないとは先に述べたとおりですので、注意や流すことで対応していました。が、このような人権侵害発言になると指導の形態も変わってきます。これを許しておくと、Aくんのことはもちろん、Bさんの将来を考えてみても望ましくありません。場所を変えて指導する方が良い場合もありますが、この場合は即対応することが先決だと考えたのと、周りの児童にも考えさせるためにその場で指導しました。
厳しく指導した児童をそのままで帰すのは様々な要因からしてよくありません。下校時までに何か良いところを褒めて返したほうが、指導の効果がでて後の児童の成長にも良い影響を及ぼすと考えられるのですが、今回はAくんのことを考えてそれはしませんでした。一日単位ではなく、何日かかけてそれを行いましました。
繰り返しになりますが、生徒指導とは本当に繊細なものでした。
【別れ】
出会いがあれば別れがくるとはよくある台詞です。一ヶ月が過ぎた実習生の僕にもついにその時がやってきました。
職場でもそうなのですが、僕はどうも職員室というところが苦手です。どうも大人の会話というものがヘタクソというのでしょうか、多少語弊があるとは思いますが教師と話をするのが好きではないんですね。気兼ねなく話できないというかなんというか。まぁ、僕自身の問題なんだと思うのですが、とにかくそんな感じなんです。こと、実習校に関しては執拗に気を遣ってしまうこともあり、あんまり寄り付きたい空間ではありませんでした。とはいえ、実習生なので待機場所はまた別の場所を用意してもらってはいるのですが、そこではもう一人の実習生がいて、彼が中学の先輩だったこともありそこにいても落ち着かないんです。そんな状況なもので大人のいる空間には落ち着けるスペ−スがなかったんです。
だから僕はできるだけ子どものいる場所にいるようにしました。上記の理由だけでなく、もっと子どもの事が知りたかったし、子どもと関わることが面白ったしで、率先してそこにいました。担当学年の子どもだけでなく、他学年の子どもとも積極的にコミュニケーションを図りにいっていました(マイケル的発想は微塵もありませんので、ご心配なく)。そうしていくうちに、それぞれの年代によって、さらには個人個人にカラーがあることが体験的にわかってきました。それによって会話の仕方や話題の内容など使い分けてコミュニケーションを図っていきました。個に応じた指導ではありませんが、それに順ずることを経験できた気がして、子どもとのコミュニケーションは非常に有意義な時間となりました。
担当学年の児童の第一印象は、ゴンタばかりで、落ち着きがなく、騒々しく、元気、という感じでした。一ヶ月が経ち、授業や給食、休み時間や集団下校時、それに運動会など、様々な時間を一緒に過ごしていきました。第一印象の通りの子ども達でしたが、そこに「善」という言葉が付け加えられました。中世フランスの哲学者ルソーが言った言葉の中に「造物主の手を離れるときは全てのものが善であるが、人間の手に移されると全てのものが悪となる」という性善説があります。ここの子ども達はここで言う「善」そのものの状態にありました。月並みな言葉ですが、ホントに良い子たちでしたね。その子達ともいよいよお別れのときがやってきました。
最後の日は各クラスでお別れ会をやってくれました。ゲームでは、「ダルマさんの一日」というこの学校独特の遊びをしました。11月の音楽会で歌う「僕のもらった時計」をみんなで歌ってくれました。この時点で早くも涙が出そうになってしまいましたが、まだ早い、とグッとこらえました。
楽しかった会もいよいよ終わりの時間が近づき、最後に一人ひとり僕の前にやってきてプレゼントとお別れの言葉を送るコーナーに移りました。
テレながら「はい!さよなら!」とプレゼントを差し出して元気良く挨拶をしてくれた男の子。
いつもカブトムシを自慢してきた男の子は、「ヘヘッ!」と笑いながらやってきました。
「せんせ・せんせ〜♪」と休み時間のたびに僕の腕をつかんで離さない女の子。
落ち着きがなくていつも後ろを向いて授業を受けていた男の子。
「この問題やってみて〜」となぞなぞの本を3冊も貸してくれた女の子。
などなど、みんな僕の前に笑顔でやってきました。徐々に寂しさがこみ上げてきました。そんな感じでクラスの半数がやってきた後、次にやってきた女の子が「・・・・・」と無言でうつむいたままプレゼントを差し出してくれました。それを受け取り、「Kさん、ありがとうね。あんたはいつも笑顔やったね。それを見るのが楽しみだったよ。」と声をかけました。すると、「・・・せんせい、いかんといて。。」としゃがみ込んで泣きじゃくってしまいました。この子は窓側の一番後ろにし座っている女の子で、フラフープが上手でした。「せんせ、フラフープできる?」と得意げに言ってくる顔が印象的でした。僕はこの実習での思い出が一気に思い起こされ、ポロポロとつられて泣いてしてしまいました。
それを見ていた他の児童も、ようやくお別れということを理解してきたようで、あちこちからすすり泣く声が聞こえ始めました。後に続く子ども達の目は赤く染まっており、声も震えていました。
僕が小学校時代に対戦したことのあるサッカーの名門チームに所属している、元気な男の子。
アレルギーがあり給食の時間が苦痛だったはずのに平然とした顔をしている男の子。
二人の兄貴と顔がそっくりな女の子。この子も給食が嫌いでした。
近所で集めた袋いっぱいの松ぼっくりをくれた知的障害の男の子。
誰かに甘えながらも、身辺の自立に精一杯取り組んでいた重度の知的障害の女の子。
それぞれに豊かな個性がある子ども達が、それぞれ思い思いに僕の前にやってきては悲しみをこらえてさよならを言いにやってくる。僕はもうたまりませんでした。涙を堪えるので精一杯でした。っというか、堪えられませんでした。こんなにも可愛い子ども達とお別れしなくてはならないなんて。。。辛いという言葉では軽すぎるほどの寂しさが次々とあふれ出て止まりませんでした。
全ての児童がやってきた後、今度は僕が子ども達へあいさつをする番になりました。
言葉はある程度考えてきました。が、出てこないんですね。口を開くと前が見えなくなるほど涙が出てしまいそうで、考えてきた言葉が全く出てこないんですね。それでも何かしら挨拶をしなくてはならないし、伝えたい言葉があるから口を開かなくてはならないんですね。「えっと〜・・・」中学生並みのしゃべり出し。情けないな、とか思いながら言葉を続けました。が、残念なことにそれから何を言ったのか覚えていません。言うのが恥ずかしいとかじゃなくて、本当に覚えてないんです。ただ最後に、また会えるように「またね」と言ったことと、前が見えなかったことだけは覚えています。
給食中はみんな泣いていました。ゴンタな子どもに限って泣き度が激しかったのが可笑しくもありました。僕はそれを涙を堪えながら微笑んで眺めてご飯を食べていました。涙を堪えると、ノドが細くなるんですね。なかなか食が進みませんでした。
そして下校。実習最後の集団下校引率です。僕の両腕にはそれぞれ二人の女の子がつかんで離そうとしませんでした。まだ泣いている子もいました。泣きじゃくる女の子を腕につかませて歩く僕。周りから見たら異様な風景だったのかもしれません。目的地に着いて本当に最後のお別れのとき、みんなが「またね〜!!!!」と元気いっぱいに手を振ってくれました。僕も「またね!!」と手を振り返しました。小さなモミジがたくさん揺れている様がとても印象的でした。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
こうして僕の教育実習は終わりました。翌週からまた養護学校に戻り、今に至っています。学校祭やトライやるがあったりで、気が休まる時が全くなかったのですが、フトしたときに思い出されるのが揺れているあの小さなモミジの手でした。
そうそう、MPJ6周年の11月11日、朝から実習校の音楽会に行ってきました。初期の練習しか見てなかったのですが、みんな大きな声で楽しそうに元気に歌っていました。相当練習したんやろな〜、と思うとついつい涙がこぼれました。ちょっと涙もろくなったのは20代後半になったからでしょうか?
演奏終了後、教室に行くと、目を丸くして僕を見回す子ども達がいました。「ほんまに きてくれたんや!」「どうやった??」と声をかけてくる男の子。でも大半の子ども達は、驚きから緊張している様子。それをほぐすために、実習中のようにくだらない事を言うと、緊張も和らぎ始め、顔にいつもの笑顔が見られました。やっぱり小学校がいいなぁ。とあらためて思った僕は、「来年こそは小学校の先生になるぞ。」と固く誓うのでした。
おしまい。
▲ Back to column index / コラムインデックスへ戻る